発言の価値を、単純な二項対立における影響によって測る考え方

ぜんぜん違う主張のはずなのに、何故か一括りにされたり、仲間扱いされたり、ってことがある。

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分かりづらいかもしれないが、こういうことが起きている。
自分が注目している二項対立しか見えていないために、「その二項対立において、どっち寄りか?」を元に、発言の価値を測っている。

下の2つの点には、緑で囲った枠の中しか見えていない。
上の点は、実際には彼らと離れた所にあるが、彼らにはその点が自分たちの二項対立の上に投影されて見える。
結果、その二項対立上で近い点からは「味方!」と思われ、遠い点からは「敵どもめ!」と一括りにされる。

左下の点と、上の点は、だいぶ離れているが、右下の点からは(左下の点と、投影された点が)近くにあるように見えるので、一括りに理解される。
つまり、仮に左下の点が「社会にとって害悪」と認知されるようなものであれば、上の点も同じような扱いを受ける。

こういう要因によって発言が歪に理解され、批難を受けるという事件が世の中には多いように思う。
最近の例だと、ジェームズ・ダモア氏の件とか。もちろん、こんなに単純化出来ないとは思うけども。

仮に、上の点の主張が行われたとしても、結局、緑枠の中の二項対立で議論が進んでしまうことが多い。
ジェームズ・ダモア氏は、男女の生来の能力差についての意見を述べたが、
結局、社会的な要因を含めて「男女の能力に差があるか」という議論に発展し、
その議論においてジェームズ・ダモア氏が相対的に「差がある」側であるという点で、「男女差別主義者」と批難された。

こういう理解がされやすいことを肝に銘じ、
逆にこっちがこういう理解をしていないか吟味した上で、意見を述べていきたい。